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2026-10-26

アーカイブ

町塚 広一

長く大学生活を続けてきて、いろんな感情に出会ってきた。

途中入部なのに一年生にどんどん追い抜かれていく感覚。育成にいた頃、当時の幹部や代表に練習をほとんど見てもらえず、グラウンドの端で延々と1vs1をしていたときの気持ち。スタッフとサシでムスカンに行き今後のことを話し合った直後に、その子がグループを退会して退部したときのショックと後悔。そして最終的に既存のスタッフが1人を残して全員やめてしまったこと。振り返ると、悲しい出来事に心を揺さぶられることが多くあった。

それでもそれ以上に、嬉しい記憶や嬉しさと悲しさのどちらにも分けられない感情も蘇ってくる。郷中さんと慎太郎さんの最後の総括のスピーチ。振られた次の日、普段は自分の話をほとんどしない友達が、恋人の話までして親身に慰めてくれたこと。入れ替え戦で勝った直後、松長がなつきちゃんがSOを撮っていたスマホを手に取り、スタッフみんなにカメラを向け直したこと。あのとき、松長もスタッフもみんな笑顔だった。今までで一番、選手とスタッフが喜びを分かち合い一つになれた瞬間だった。


なぜあの瞬間にあれほど心が動いたのか。感情は文脈があって初めて存在するものだと思う。そして「伏線」という言葉を広く捉えるなら、文脈は伏線によって構成されている。文脈は因果でつながった出来事の連なりであり、その一つ一つが伏線だったと分かるのは、後になってそれらがつながったときだ。

松長のやつもそうやって生まれたものだと思う。スタッフへの要求を上げると決め、春リーグをスタッフ0人で迎える覚悟をしたこと。新歓でスタッフが入部してくれたときの安堵。前例がなく、何をすればいいか分からないまま後輩たちと練習後のグラウンドで考え抜いたこと。それらを経験してきたからこそ、スタッフにカメラが向けられた瞬間に胸がいっぱいになった。一つ一つが伏線で、それらがつながってできた文脈の中だったからこそ、あの感情に出会えたのだ。

自分は他の人とは違う文脈の中に、しかもいくつもの文脈の中にいるのだと思う。文脈が多いということは、それだけ多くの感情に出会ってきたということだ。そう考えると、我ながら豊かな大学生活だったかもしれない。


その中でも特に印象的なのは、やっぱり入れ替え戦で一橋に勝ったときだ。試合前、泰輝が「今週ガチでアツい。W杯とお前らの試合がある。楽しみな試合が多すぎる」というようなことを言ってくれた。この言葉が強く記憶に残っている。自分がW杯を見てた分、今度は自分は観客じゃなくて選手側になるんだと思って興奮した。それに泰輝と多く時間をともにした後輩たちが、長く届かなかった景色に手をかけようとしている。それは泰輝の文脈の中で、きっと特別にエモーショナルなことだったのだと思う。

今でも時々、試合のビデオを見返してしまう。4ピリ終盤のPCで山田のタッチしたボールがゴールに吸い込まれる瞬間。最後のSOでしあんが止めて勝利が決まった瞬間。画面の向こうで、選手もベンチもスタンドも、みんなの感情が自分たちを中心に爆発していた。


直近の試合はインカレ。全国大会。ハイキューとか黒子のバスケとか漫画の世界だと思っていたというか、まさか自分が全国に出る世界線があるなんて。試合の後、自分はどんな気持ちになっているだろう。見にきてくれた人はどういう感情に出会うだろう。

自分は今伏線を回収しているし、これからの人生も含めて考えると伏線を張っている状態でもある。そして他の人の伏線とか伏線回収になっている可能性もある。正直今のところ人生で大学生活が一番エモーショナルで楽しいけれど、「社会に出ても『あの頃が一番楽しかった』と言う大人にろくな奴はいない」って誰かが言ってた。でも自分はそうならない自信が、最高値を更新し続けられる自信がある。

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