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2026-10-17

ダーリン

米地雄一朗

もうすぐ引退します。せっかくなので、書きづらいことを本音で書けたらいいなと思います。自分はホッケー部のプレイヤーとして総じて、うまくいかなかったと思っています。事実として4年生の中ではプレイヤーとして部の勝利にもっとも貢献できていないでしょう。ここ数年でもこういう部員は久々じゃないかなと思います。一般的に語り継がれやすい話は成功談だと思います。逆に失敗した人の話は残らないかなと思います。


だからこそ逆に恥を忍んで、自分のあまり話したくないことをここで残そうと思います。


もっというと葛藤について語ろうと思います。いろいろな葛藤がずっとありました。


まず、1つ目は他人と比べるか自分の成長に目を向けるかです。これらは別に背反ではない気もしますが、うまくいかない時こそこれらの考えに悩まされました。よく自分と他人を比べてしまいます。〇〇は〜ができるのに自分はできない、〇〇は〜で活躍しているのに自分はできていない。こういうことを思って落ち込む時があります。その励ましとして、よく「でも去年の時よりも〜はうまくなってるよ」と言った励ましを言ってくれる人がいます。自分の中だけでの成長に注目したら、あれができるようになった、これができるようになったと思えることはたしかに存在します。それを考えると少し嬉しい気持ちになります。でも、プレーできる人数に限りがある以上、競争がかならず存在します。すなわち他者と常に比べるし比べられます。他者と比べた時、うまくいっていたらいいのですが、うまくいっていないと、自分の中で成長していたって結局関係ないよねと思ってしまいます。どうすればいいんでしょうか。


2つ目は勝ちたいと思えていない自分はだめなのかということです。チームとしては勝利を目指すことは当然だと思います。なので、勝ちたいと思うべきなんだと思います。でも特に勝利を考えていない時期がたしかに存在しました。もちろん勝てたら嬉しいし、負けるより勝つ方が良いです。勝ちたいとは思っているんですが、その勝ちたいは、推しのチームが勝ってほしい気持ちのようなもので自分事として勝ちたいと思えないということです。自分が、自分事として勝ちたいと思えない時があることを、チームに対して失礼だと軽蔑する自分もいます。一方で、自分が勝利に貢献できる可能性が低い中で心の底から自分ごととして勝ちたいと思うなんて難しい話だよなと思っている自分もいます。


3つ目は自分が部にとって必要な存在なのかということです。普段は自分の必要性とか、いちいちそんなことを考えていないのですが、時々ふと、自分の部にとっての存在意義はあるのだろうかと思ってしまうことがあります。というのも、自分が部からいなくなったとして、困ることはあるんだろうかと考えてみても、自分の中で反論として思いつくものが運営面のような話ばかりでプレイヤーとしてのことが全然思いつかないからです。そもそも存在意義というものが必要なのかということも考えました。存在意義があるかどうかはどうでもよくて、その人がいたい思うから、所属するだけで十分なのではないかとも思いました。これも真だと思ったのですが、それでもやはり存在意義は探してしまうものです。昔どこかで、「人間にとっての幸せは同じ目標を持つ集団のなかでその人が他を頼り他から頼られること」というのを聞いたことがあります。すごく納得しました。自分の存在意義が感じられないと他を頼ることも難しいし、まして他から頼られることなんて感じないと思います。そうなってしまったらつらいですね。


ここまででものすごい暗い感じになってしまった気がします。真夜中に1人で書いてるからかもしれません。上記のようなことは、結局弱音だという自覚もあります。でも、だからといってその気持ちを押さえつけてかき消そうとする必要もないかなと思います。最近読んだ『スマホ時代の哲学』では単純明快でわかりやすいものが溢れかえる現代で一筋縄ではいかないこと、理解し難いことを抱え続けることの重要性が紹介されていました。それを読んでから、目を向けたくない葛藤を抱えたままやっていくことも必要なことかと思いました。


最後に、ここまで書いたことを読んで、合理的に考えたら退部していると思うんですが、そうしなかったのは、先輩も同期も後輩も好きな人たちだからでした。ホッケーどうこうは関係なくそれ以前にみんな人が良いんですよね。おかげさまで、4年間自分がホッケー部にいて正解だったのかという問いにはあまり葛藤しなくて済みました。ありがとうございます。

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