UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2026-05-28
cards one’s dealt..
町塚 広一
就活をしてるときに思ったことがある。
スヌーピーの「配られたカードで勝負する」というセリフ。
自分に与えられた条件や環境の中で精一杯、人事を尽くすということだ。
文句を言ってもどうしようもないことを定数として受け入れて、自分にできることをやっていく。
自分なりに、この心構えを大学に入る前から大事にしてきたつもり。というか、思わぬアクシデントとかが起こったときに、そうやって考えて自分なりに自分を納得させてきたつもり。
それを実践し始めたのは受験勉強のとき。共通テストが新しく始まるとかで、センター試験が記述式になるってどういうこと?どうやって採点すんの?みたいな気持ちを、スヌーピーのマインドを思い出して抑えてた。模試の判定が著しく悪いときも、勉強しなかった時間はもう戻らないんだから後悔しても仕方ない、今からどれだけ勉強できるかが大事なんだ、とか自分に言い聞かせてた気がする(勉強しないんだけど)。
逆に、配られたカードに恵まれていたなと思うこともある。ありがたいことに小さいときから塾に通わせてもらって大学にも進学できた。自分がど田舎で生まれてたりしたら、ここまで辿り着いてなかったんだろうなと思う。
大学に入って部活に入って、部活というか、チームスポーツはこのメンタリティを体現していると感じる。自分1人で結果が決まらないし、自分だけでどうにかなることなんてほとんどない。全員が自分にできることをして、できないことを互いに助け合って、チームで最大の成果を目指していく。自分はめっちゃ助けてもらってる側だという前提は置いといて。
就活もそう。
人が主観的に判断する仕組みである以上、やっぱりめちゃめちゃ運ゲー。30分の面接で何がわかるんですか。とか思うし、めっちゃ落ちるから、配られたカードの話を思い出すタイミングがいっぱいあった。
みたいなことを思ってたら、就活は企業を選ぶ機会という見方もあるから、自分の人生において稼ぎをどれだけ重視すべきなのかということを考えるタイミングがあった。
一番身近な社会人である、お父さんのこととか考える。30年以上働きながら家族を養ってる父親の凄さを思い知り、自分で稼いだお金の多くを家族のために使ってることに改めて感動。
そして自分が将来、社会に出ることを考えて、お父さんのこととか考えて気づいた。
自分はカードを配られる立場に安住していた。
あくまで例えばの話だけど、自分が定年を迎えて親が施設に入るってなったときに、自分の稼ぎによって受けられるサービスが全然変わってくるんじゃないか。今まで親にお金を出してもらう立場だったけど、親にお金を出す側になる。つまり自分は、親が配られたカードの一つ。もっと言えば、大人になるということの一つは、カードを配られるだけじゃなくて配る側にも立つということなのかとか思ったりする。
そしてこれは部活もそう。自分は他のみんなに配られたカードの1枚。
ホッケー部に所属する一人ひとりが人生で二部優勝を経験できるかどうかということの、一つのファクターが自分である。自分が周りの人の人生を決定し得る。その覚悟が足りてなかった。
当たり前のことをぼんやり思ってたら、別の当たり前のことに行き着いた。しかも絶対こんな長い必要なかったし。恥ずかしい。
