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2019-05-02

Winding Road

三村 実樹子

春、進級して2年と呼ばれることに違和感がなくなって、私は部活での進退を考えていた。

Bullions2019が本格始動して体制や練習メニューに変化が表れ、スタッフも意識改革を求められた。
チームの強化を常に念頭に置き、誰が欠けてもプレーヤーに不安を与えないように個々がすべての仕事で一定基準を満たしたオールラウンダーになること。
正直、しんどいなと思った。もともと練習に参加できる回数がほかのスタッフより少ない上に二度の長期離脱(しかも一度は七帝)をしている自分のスキルがほかのスタッフに劣るのを自覚させられるたびに落ち込みつつも目を背けようとし続けていた私にとって、それは引導のようにも思われた。生来情熱を欠いた自分が周りの高いモチベーションと要求基準に無理して付いていったところで誰に意味があるのか。チームの足を引っ張るだけではないのか。

自問自答を繰り返すも結論が出ないまま3月後半、部活を離れてイタリアに二週間留学した。留学中は部活も含めて日本での日常はすべて忘れて全力で楽しみ吸収しようと決めていた。
そのプログラムでは時間と自由がかなり過剰に与えられていた。目的も計画もなく勘と思い付きだけで街を歩いたりただただ運河を見つめてぼーっとしたりといった時間の過ごし方は本当に久々で新鮮で、心身ともにリフレッシュしたのを感じた。そんなオープンな気持ちで広い世界と接したらたくさんの出会いがあった。
部活にサークルに勉強にバイトに追われた大学1年の1年間は充実していたが常に消耗戦だったし、それで本当にいいのか考える余裕もなく、ルーティンワークのように日々の予定をこなしていて、今の自分の生活の外側にあるものなど想像することすら忘れていた。それにはじめて気づいてはっとした。それを変えるなら留学で得た刺激が生々しく残っていて、授業も少なく自由な時間の多い2Sの今ではないのか。

帰国したら怒涛の新歓期かつ春リーグ目前で、同時にサークルでも複数ナンバー出演する公演が近く、離脱していた分をキャッチアップしなければならないのもあって完全にキャパシティを超えた。今までそれだけはと注意していたダブルブッキングを何回か犯して迷惑をかけて罰金も払って、限界を感じた。


でも帰国して最初に部活に行ったときまた温かく迎えてもらえたのが嬉しくて、グラウンドに行くと何となく安心感があって、仕事がうまくできるとやはり達成感があって、ホッケー部が自分にとって1つの居場所である実感があって令和になった今も結局ずるずると残ってしまっている。

急に練習参加を増やせるわけでもないし、現状のスキルの差はきっと簡単には埋まらない。怠惰で意識の低い性質も基本的には変わらない。

でも私はずっと集団で仕事をするときとにかく文句を言われないように1だけこなして帰ろう、あとは関係ないというスタンスだったが、スタッフになってから全体の仕事のパフォーマンスを上げるために1以上にできることはないかと自然と考えられるようになった。(実行できているかはわからないが。)
数年前の自分からしたらこれはだいぶ大きな成長で、人は意外と変わる。積み重ねの先で私はきっともっと成長できるし、未熟なりにやれることもきっとまだある。部活とサークルを1年掛け持てたのだから工夫すれば部活を続けながら世界を広げることも(多分)できる。

そう信じて、今日も今日だけは迷いながらBullionsのスタッフを続けます。

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