UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2021-10-28
What happens in the team
古市 拓真
ドキュメンタリー番組でその道のプロが課題に直面し、苦しみながら乗り越えていく様を見ると、その熱に当てられて、自分の中にエネルギーが湧き出てくるのを感じることがよくある。ドキュメンタリー番組に限らず漫画とか映画とかでもそういう体験はできるだろう。そういう現象を、発奮すると言う。
フィールドホッケーという謎の競技を2年生という謎のタイミングで始めてから、約半年が経った。運動していなかった期間に体力が落ちすぎて、一年練の間は練習をこなす以外の事を考える余裕が無かったが、体力が徐々に戻り、上級生とも練習する機会が増えた夏頃から、Bullions2021というチームに属する人間について何となく観察するようになった気がする。FWが点を決めたら後ろのDFも手を挙げて喜んでるとか、実はめっちゃ声出してるとか、言葉選んで話してるな…とか。
何故そんなことをするようになったのかは分からないが、まだ入部してから日が浅くて本質的には外様の人間だったり、浮き球は浮かない割に周囲からは何となく浮きがちだったりしたせいかもしれない。4年生ともあまり歳が変わらないため、技術は兎も角、人間的な部分でも後輩に甘んじるのは如何なものかと勝手に思っていたからかもしれない。
そんな感じで数か月見てきて思ったことは、「フィールドホッケーとはチームスポーツであり、Bullions2021というのはチームである」という普通の事だった。
勉強でもなんでも、字面では理解したが暫く経ってから振り返ると、これはこういう意味だったのか、と感じることがよくある。これを一般的に実感した、というらしいが、今回のもその部類に入るだろう。
小学校から高校までバスケットボールという競技をプレーして、それなりに上達したが、あまり自分がチームスポーツをやっているという意識は無かったように思う。自分にとってチームスポーツとは定義通りの複数人で行う競技という理解でしかなかった。
チームの役割というか、チームを組む意味とは、形はどうであれ、周りから何らかの発奮材料を受けられることにあると思う。
チームには様々な人がいる。フィールドプレーヤーにスタッフ、練習に来てくれるOBもいる。
帰宅してから練習ビデオを見るとそこに入っているスタッフの声に発奮させられる。ナイシューとかナイスーとかの基本的な掛け声にも毎回抑揚があり、ナとイとシューから構成される単なる音の連なりになっていない所に感情を感じる。
偶に良いドリブルやパスをしている一年生の姿を見ると、何となく将来の幻影というか、公式戦でプレーしている姿が目に浮かんで発奮させられる。そのそれっぽさに未来を感じる。
新しいポジションで試行錯誤している同期を見ると発奮させられる。試合中後ろから聞こえてくる声やプレー後の指摘に冷静にさせられる。
練習を声出して盛り上げたり、いいプレーすると声を掛けに来てくれたり、アドバイスをくれたりする三年生に発奮させられる。自分たちがこのチームを背負い、練習を作るのだという気概を感じる。
気迫溢れるディフェンスで高い位置でボールを奪ったり、危ない場面で安定感あるプレーが光っていたり、うまくいかなくても腐らず練習やチーム作りに真摯に取り組む四年生を見て発奮させられる。部内のシステムや練習メニューに思考と意志を感じる。なんだかんだで一番声を出している。
こういう個々人が何らかの発奮作用を引き起こしている集団をチームというんだなと実感した。誰かの姿に励まされ、知らぬ間に誰かのやる気を引き出している。
しかしながら正直なところ、自分がプレーや声掛け、コミュニケーションなどで誰かを発奮させられているかと問われれば、殆ど出来ていないと思う。別に意図的である必要は無くて、結果的に発奮させていた位で丁度いいとは思うが、チームに属する以上、そういうことを目指していかなければならない。
幸いまだ下手くそなので、成長という面でポイント稼げたらいいなと思う。
長々と書きましたが、取り敢えずの所は、一つ一つの練習に集中するとか、受けたアドバイスに対してもう少し掘り下げてみるとか、自主練で一緒に練習してもらえるようにお願いしてみるとかもっと周りとコミュニケーション取るとかして、ストローク等の基礎技術のレベルを少しずつ上げていきたいと思います。頑張ります。