UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2025-11-23
To be, or not to be, that is the question
小川 泰輝
反実仮想という思考様式の愚かさを味わい続ける二ヶ月間だった。東海に勝ち、その後も勝つことでBullions内の敗北主義者を黙らせるはずだった。勝つことでしか得られないものがあるから。
後悔することなんて無限にある。早稲田戦はどうにかできたとは思わないが、東海戦に関してはパワープレーをするタイミングがもっと早ければ、もっと違う言葉をかけていれば、違う人を出せば勝てたのではないか。そんなことばかり思い浮かぶ。ホーンと共に崩れ落ちた時、もう終わりなんだと思った。決勝も入れ替え戦も上襷もない。最後の青春というものがあるとしたらあの時に春は散ってしまった。去年上襷がなくなった瞬間この先輩たちとできるのも残り少しだということを実感した。そして項垂れる先輩たちの顔が焼き付いている。あの時の先輩たちってこういう気持ちだったんだということが少し理解できた。こんなに辛かったんだ。
武蔵戦は試合中に発狂しそうになった。あれだけ1発で行くな、減速にとどめて二人で行けと言っていた経験者二枚に対して軽い足を止めた守備をする部員ばかりで。無力感に苛まれた。何を言ったところで無駄なんじゃないかとも思った。今年のチームは今から見てみると色々な箇所で歯車が噛み合わなくなって閾値を超えたタイミングがあって、どうにか直そうと努めたものの破綻してしまった。だからこそalternative history を追い求めてしまうんだと思う。今は何も成し遂げることができずに引退するということが怖い。終わってしまう。永遠なんて存在しない。一週間後には駒場に行かないようになる。
四年生として、幹部としてチームの勝利に対して責任があった。それは自分が幹部の意見をもとにメンバー表を組み、パワーポイントを作って作戦を語り、コーチ不在の中で鼓舞をし続ける必要があったから。東海に敗れた時これまでで最も辛かった。それはこの一年間やろうとしたかったことが全て泡のように消えてしまったように思えたから。あの時から後悔が止まらない。
いや一番後悔すべきことは自分がプレイヤーでないという事実なのかもしれない。去年の夏プレイヤーを辞めてマネージャーになった。もうホッケーしたいとマネージャーになるだいぶ前から全く思わなくなっていて、部活を辞めるべきだったかもしれない。あれだけ自由になりたかったのだから退部することで解放されれば良かったのでは。僕はプレイングマネージャーにはなれなかった。逃げだった。自分の弱さからの逃げであった。
今年の一年間は自分の愚かさとそして弱さと向き合い続けないと行けない一年だった。そもそもプレイヤーとして下手だった人の意見をどうすれば聞いてもらえるようにできるのか。それはこの部活に一年間よりいるからということによる権威でしかないのだろうか。先輩たちを見た時あの人たちには上手さがあった。國崎さんも郷中さんも慎太郎さんも巧かった。有無を言わせない実力があった。そして小田さんと古市さんは何よりもホッケーのことを考えていた。あの人たちにあった真摯さと実力があればとどれほど思っただろうか。
Maybe I will never be
All the things I wanna be
Now is not the time to cry
Now’s the time to find out why
I think you’re the same as me
We see things they’ll never see
You and I are gonna live forever
Maybe I just wanna fly
Wanna live, I don’t wanna die
Maybe I just wanna breathe
Maybe I just don’t believe
Maybe you’re the same as me
We see things they’ll never see
You and I are gonna live forever
