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2019-11-24

F**kin’ Perfect

吉川剛

この雑感で書きたいことはただ一つです。
『感謝』

自分の環境が恵まれていたとちゃんと認識したのは就職活動での自己分析をしてからです。自分がどういう環境で育ったのか、あるいはどのような軸で決断を下してきたかを知るために、小さいころの記憶を遡って自分史を書いてみました。


4歳:幼稚園では一人で泥団子を作っていた。一週間かけて丹精込めて作った泥団子を兄貴に壊される。大泣きする。
5歳:サッカーをちゃんと始める。自分より上手い友達はいたが、自分も上手いほうだった。この時からポジションはFWだった。ゴール前に張り付いて点を取ることが好きだった。
………

22歳:周りの友人の就活を終了したというSNS投稿を見て焦りからついに就職活動を始める。

大まかに自分の人生を振り返って、オリンピックなどの大会でメダルを取ったスポーツ選手が言いがちな
「周りの人たちのおかげでここまでこれました!」
「今の自分があるのは周りの人のおかげです!」
的なコメントをする気持ちがわかりました。(自分は何も成し遂げてないけど笑)



尊敬に値する人、反面教師、不条理な経験、サポートあっての成功体験、未熟さゆえの失敗経験など周りの環境が自分に多くを与えてくれました。そんな経験や学びに支えられて今の自分があると心から思えました。今まで歩んできた道のりは人より立派な人生を歩んできたとかは全然思わないけど振り返ると周りの環境ゆえ自分なりに肯定できる道のりを歩んできたと思えました。

大学生活に関係あるところで振り返って行くと

高三春まで部活を一緒にやっていたサッカー部同期が現役で第一志望に華麗に合格していった中で自分だけ落ちて悔しかったから、そして彼らに負けたくなかったから、入学金を払った大学に行かず、浪人して東大を目指すという選択をとれました。

大学入学後、部活に入ってしんどいと言いつつ何かに一生懸命取り組んでいる高校同期を見て羨ましくなったから、自分も部活に入りたいと思いました。

ホッケー部入部当初自分とはタイプは違うけど圧倒的にうまい中村が同期にいたから、勝手にライバル視してたし、超えたいと思ってたし、攻撃スキルを磨くため自主練をめちゃくちゃしました。

2年で特に何の取り柄もなかった自分に四年生の幹部の人たちが寛容で優しい言葉をかけてくれたから、実際には思ってなかったとしても桑原さんがいっぱい褒めてくださったから、自信を持って公式戦に臨めたし、おかげでリーグ得点王になれました。

3年の時、清水さんと同じ縦割りになって自分の弱点に向き合っていて必死に改善しようと試行錯誤している姿を間近で見たから、自分のやり方もまだまだ改善できると思い、前よりもっと頭を使うようになりました。

実際に一部で戦ってみて圧倒的実力差故に絶望するしかなかったけど、その差を埋めるのは毎日努力していくしかないという姿勢を黙々と自主練する白川が体現してたから、自分もそれを見て頑張れました。

最高学年になって同期が自分を副将に推薦してくれたから、責任と引き換えにチーム全体のことについて本気で考えられる素晴らしい環境に身を置けました。

副将になって上手くいかないことに焦りキレても、物事は好転しないし、自分の伝えたい内容が全然伝わらないことが身を持ってわかったから、ピッチ内で無駄に感情的になること、必死になりすぎることは今年一年で激減しました。

現状に不服があって苦しくてもいざ公式戦になったら悔しさをかみ殺して応援してくれる仲間、爆速で膨大な量の仕事をしている神マネ(萌ちゃん)、神シュム(磯田)を近くで見ていて確かにチームを支えていることがわかったから、ゴールなどの記録に残る個人の貢献→チームの貢献が色濃くあった自分にとって記録には残らない個人の貢献→チーム貢献とかいうベクトルもめちゃくちゃ大きいということを肌で感じました。

4年生になってチームがうまくいってない時にのせさんが親身になって試合後相談に乗ってくれたから、東海学院の試合前にLINEをくださったから、不安な中でも前を向けたし応援されるありがたさを再確認できました。

全然試合に出れず、プレーについて文句を言われ、精神的余裕とか全くない苦しい状況の中でも腐らず、ひたむきに努力している後輩の姿があまりにも美しかったから、自分も彼らに恥じないように努力しようと思えたし、自分もうまくいってない時に熱くなりすぎずやるべきことに目を向けられるようになりました。

副将という役職とか最高学年とか肩書きの部分だけが変わっただけなのに、中身が成長したとか、自分が偉いとか勘違いして頑固になり柔軟さを失うことがある自分の弱さや傲慢さも痛感しました。

自分達なりに頑張っても一部相手に対して結果が出ず苦しい時に中村や白川を見たら前を向いていたから、自分ももっと強くならないといけないと思い、前を向けました。


これらはほんの一部だけど、こんな感じで良くも悪くも芯を持っていない自分は周りに流され、至らなさや不満、怒り、敬意などなど何かしらを感じ、前に時には後ろにエネルギーをドライブさせてきました。



話は逸れますが、
僕はbullions2015(2016?笑)の中尾さんが雑感で後輩たちが一部5位という目標を僕たちの代で達成するに違いないと心の中で思っていました。

一部5位を達成するうえで絶対に負けられない駿河台戦自分のマークミスからPCを取られて試合終了直前に失点しました。結果として一部5位は達成できませんでした。
最高学年として、副将として最高の準備をしてきたつもりだったけど最後は自分が足を引っ張ってしまいました。本当にごめんなさい。
プール戦の東農戦も先制したものの4ピリに失点して1-1で引き分けたこと、法政に0-1で僅差で負けたこと。あともう少しで勝てるクソいいチームになってきたからこそ後悔も未練もめっちゃあります。
『敗北』という結果そのものが自分の取り組み方や犠牲にしてきた時間とか全てを否定できる力があるからそう思うのかもしれないけど、自分の目標に対する想いの強さは十分だったのか?「本気」で練習できているという「本気」の基準がそもそも適正だったのか?をもっともっと自問自答しないといけなかった。全ての基準を引き上げて「一部で勝つ」為に考えられる理想道を突き詰めてもっと高い純度で進んでいかないといけなかったと後悔があります。3年以下のみんなはこんなくだらない後悔しないように頑張ってね。


最後に

一部で勝つという夢は秋リーグ達成できなかったけど、まだ一部残留という成すべきことがあるので準備します。後輩のために、そして両親やOBさんをはじめ応援してくださる人たちの想いに応えるために。
後輩たちが本気で考えて、本気で練習し、それでもうまくいかなくてクソほど辛い思い、無力さ、絶望感、閉塞感を味わった上で、一部で勝利し、最高の高揚感、達成感を味わえるように一部という舞台は絶対に残します。


この四年間でリバースヒット1万本は余裕で練習したけど試合で決められたのはたった2本です(2本でもめちゃくちゃ恵まれていると思うが)。リバースヒットはあくまでピッチ内でのみ必要な技術なため、これからの人生では本当に意味のない技術になります。

でも上述したようにホッケーというスポーツに4年間本気で取り組んだからこそ得られた感情やいろいろな景色はこれからの人生でも糧になっていくと思います。時に歓喜し、時に苦悩し、時に怒りを覚え、時になんとも言えないやり切れなさも覚えました。副将になってこの部活がOBさんの支援があって成り立っていること、周りに感謝できることは自分を強く突き動かす原動力となること、もはや慣れてしまって当たり前と思えることに対しても感謝できることは立派な能力であると言えるくらい感謝し続けることは難しいことも身を持って体感しました。そして辛くて苦しくても前を向かなきゃいけない時、そういう時こそ周りに目を向け、その環境を当たり前だと思わず、感謝することがとても助けとなることも学べました。


今振り返るとこれといった理由で選んだわけではないホッケー部生活が未熟な自分に本当に多くを与えてくれました。


こんなに多くを与えてくれた環境に感謝。


最終戦の一橋戦はその恩に報いるために気持ちを込めて戦います。

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