UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2019-05-17
雑感
那須 亮太
チームとは個人の集合である。
「チーム一丸」となって「同じ目標」を目指す。チームにおけるモデルスタイルであることは間違いないが、厳密にこれを成すことは不可能なんじゃないか。
入ってきた理由もモチベーションもチームでの立場も出場時間も、てんでバラバラな個人が全く同じ方向を向いて走ることは難しい。そう振る舞うだけであれば可能かもしれないが。
そもそも一部の例外を除いて、チーム意志と個人意志には多かれ少なかれどこかで乖離が生じてしまうものだと思っている。
もちろんチーム目標は所属する全個人が目指すべきものではあるが、個人には個人の願いを叶えるために動く権利があるとも思っている。
チームの為に個人を犠牲にすることを強いる権利は何者も持ち合わせていないし、そもそも各個人が目標とやりがいを持って動くことの出来ないチームなど健全でないだろう。
その中でも、今の自分はチームへの献身性を求める思想に偏った人間だと感じている。
チームの為なら身を削ることも厭わないし、自分が潰れて勝てるのであればこの上ない幸せだとはっきりと言える。
これを周囲に押し付けていて、求めるハードワークの基準が自ずと高くなっていること、防げるミスに対する当たりが人一倍強くなってしまっていることについては自覚している。
それでもその辺に転がっている可能性を拾い集めることが結果につながると信じて疑わないし、これをあと半年間止めることは出来ないだろう。大目に見てもらえるとありがたい。
三木と佐藤にはこの思想の権化みたいなことをやらせているし、個人としての活躍の機会を削るリスクを負わせている。試合中は痛がる彼らの隣で労いの声をかけることしか出来ないのが歯がゆいが、申し訳なさよりも良くやったという思いの方が強いのでもっと褒めてチームの為に続けてもらおうと思う笑。
ただ献身過激派の自分にも思うところはあり、個人として「自分がチームを勝たせるプレイヤーになる」という思いを入部宣言時から忘れたことなど一度もない。
入部してすぐに怪我をし一年をふいにした時も、基礎技術の遅れが明らかで全体練習の邪魔をしていた時も、実力不足で試合に出れないくせに心からチームを応援することが出来なかった時も、この意志無くしてホッケー部に居ることが出来なかった。チーム目標を自分ごとに出来ていなかった下級生時の自分にとって、ホッケーに向かう原動力はこの思いだった。
想定していた未来と現実の違いに苦しみ、現実的でないように感じられたこの目標を何度も下方修正しようかと思ったが、ついに諦められなかった。
去年の今頃、春リーグはロールプレイヤーとして出来る範囲の貢献方法を模索しようと決めた時でも、最終的なこの目標が消えることはなかった。
俺はロールプレーヤーとしての最高値を叩くためにこの部活に入ってない。チームの為に身を削りながらもこの思いは日に日に増すばかり。
チームとは個人の集合である。
個人として大を成す為にこのチームに入ったが、より大きなものの為にプレイする喜びを感じられるようになった。ただ自分がゲームチェンジャーに成るという野心を失うことが到底出来なかったことも事実。
ただ個人としてのこの目標は、今現在チームを助けるものだとは言えない。今の自分に試合を変える実力がないから。それでも自分がチームを勝たせるプレイヤーになることを思い続けてやまないだろう。練習でも試合でも、チームの為に身を粉にしてはたらきながら。
欲張りな願いかもしれない、それでもどちらも追い続ける。誰よりも期待している自分に報いる為に、何よりも大事なこのチームの勝利の為に。
まあこんなことは去年の夏から思ってるんですけどね。一皮剝けるというのはなかなか難しいものです。今年は最低限の下地も出来てきたと思うので貪欲により強い個を目指してチャレンジを楽しもうと思います。
さて、今年の春タスキは去年歴史的な勝利をおさめた東農大戦です。
えらいもんで去年の今頃よりも東農に勝てる気がしてるんですが、僕だけでしょうか。
余談ですがコンディション調整の成功例として、3%だかフィジカルコンディションを上げるだけでもチームとしてのパフォーマンスは変わるらしいです。勝敗を左右するくらいに。
個々人が数%をチームに還元することが出来れば試合が変わり得ると思うと少し楽に思えますね。
根拠の無い自信が先見の明だったと言えるように、全身全霊をかけてその数%を削り出します。
このチームでめちゃくちゃ勝ちたいです。
勝ちましょう。