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2018-05-23

私は本当に必要か。

高砂 美里

私の中での決意はすごく固くて、もはや同期に相談することさえしなかった。
コツコツと後輩に引き継ぎをして、私は着実に自分が部活から消える準備をしていた。
春リーグ期間中に多くの部員に打ち明けなかったのは、最後の気遣いのつもりだった。



スタッフは、難しい。



30年ぶりの快挙、1部校への勝利。
華々しい実績だ。私はベンチにいた。一緒に戦った。でもどんな試合が展開されていたのか、私は知らない。
ベンチには次々と疲れ果てた人、熱中症の人、足を攣った人、攣りそうな人、流血している人。カードで退場してくる人もいて、緊急病棟かのようにみんなバタバタとベンチに戻ってくる。
それを対処したのはスタッフだ。私だ。
血を出してもなお興奮して血を止める努力をしないプレーヤーを座らせて血を止めて、熱中症や足を攣りそうな人間に適切な処置をしなければ、その人たちはグラウンドへは戻れなかった。グラウンドに残されたプレーヤーたちは交代人数が減ってひいひい言うことになっていただろう。

私がいなければ、間違いなく負けていた。
それは誰がなんと言おうと思おうと、揺らぐことのない事実だ。
得点もディフェンスも相手のミスも、全てが勝利の一因で、たったの一因。
それとは異質な存在感で、私の活躍やスタッフの活躍はそこにある。

それでも私は拍手を浴びることはない。
プレーヤーは観客席の前でお礼を言って、皆 から拍手をされる。労われる。その場に私が行くことは絶対にできない。
頑張った、よくやったとプレーヤーが労われる間、私は撤収のためにせっせとベンチを片付けた。

歴史に残る勝利。残る歴史に私の影はない。残るのは試合の動画とプレーの写真、
「主将・浅野の代」という肩書き。
あの代にこういううまいプレーヤーがいたらしい、という話にはなったとしても
あの代にはこんなにすごいマネージャーがいた、とはならない。



プレーヤーは動画を見て、分析をして、自主練をして。ホッケーにものすごく時間をかけている。苦労しただろうしつらいこともあっただろう。頭では理解できる。でもそれは自分のためにやっていることだ。自分次第で結果に結びつくものだ。1点決めればさんざんに労われる。褒められる。さぞやりがいもあることだろう、と思う。
それに対してスタッフはどうだ。負担は増えて、どんなにそれらを器用にこなしたとしても私が周囲に満足なほど評価されることはない。それどころか損な役回りはどんどん回ってくる。口うるさく色々なことを注意する私の存在は小賢しく映ることが多いだろう。部内にどれほど私へ反感を持っている人間がいるのかなんて見当がつかない。私の状況も知らずにただ心が弱いだけだと評価する人間だっている。ストレスで聴力を犠牲にしてなお続ける価値のあることだと、私にはどうしても思うことはできなかった。



たぶんずっと、私は周囲に認められようとしていた。認められたかった。
なぜか。それが楽な道だったからだ。
他人の評価を得る努力はしやすい。わかりやすい。他人が満足をしていなければ努力や気遣いを重ねればいい。ストレスは溜まるが、言ってしまえばそれだけで済む。


私に必要だったのは、私自身が私は部にとって絶対必要だと思えることだった。これはすごく難しいことだ。自分が必要な存在だと思うための努力なんて果てがない。


でも考えてみれば、
私をおいて他に誰が東大ホッケー部のスタッフをやろうと思っただろう。大学生活を自分以外の活躍のために捧げようと思えただろう。
少なくとも私の学年には、大学3000人の同級生の中で私しかいなかったわけだ。
私は練習を積んでプレーヤーになれ、と言われたら今でもたぶん喜んで引き受ける。
プレーヤーに同じように、今からスタッフになれ、と言ったら誰か快く引き受けられる人間は1人でもいるだろうか
おそらく、いない。

スタッフは誰にでもやれることしかやっていないように見えて、実はほとんどの人がやろうと思うことすらできないことをやっている。それだけですごく価値のあることだ。


今さら誰に評価をされる必要があったのか。
明らかに私はこの部に不可欠な存在だった。
試合中だけじゃない。私は自分で自分の役割を、進む道を、切り開いていける。運営に関してだって、なあなあが許せない私はたぶん相当に介入をしている。私が抜けたらほとんどのことが立ち行かなくなる。(気がする。)

私が今担っている全ては、私以外の人間には絶対に背負えない。
引き受けられるもんなら引き受けてみればいい。
私にホッケーができないように、得点を決める技術がないように、他の誰も東大ホッケー部の高砂美里に取って代わる能力は持ってない。




「チームに必要かは自分で決める」



私だけじゃない、多くのスタッフはもちろんプレーヤーも似たような悩みを抱えるんだと思う。部活以外の、どんな場所にいたってこういう悩みは尽きないんだろう。
認めてもらえない。自分に一体どんな価値があるというのか。

それらを決めるのは一体誰なのか。


自分の存在に自信を持てない人間が一部の舞台、ベンチにいていいはずがない。
私が3年間悩み続けたことは、決して無駄じゃなかったように思う。

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