UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2024-10-10
未来の答え
内村 拓人
作文は大の苦手なので、1文字も消すことなく、戻ることなく止め処なく書こうと思う。時系列や文法がめちゃくちゃだろうがそこは御愛嬌。
最後の雑感。大体の4年生は引退直前のこの時期は過去歩んできた道を振り返ったりするのではないだろうか。自分はあえて未来を見据えてみようと思う。
数日後に引退が近づいてきた。それに関して何か実感が湧いているかと聞かれたら正直湧いていないし、今後も湧くことはない気すらする。
なんなら漫然とした不安が募る一方だ。自分からホッケーを取ったら何が残るのだろうか?自分は部活に何かしらのものを残せたという実感を得られるのだろうか?そんなことをむしろ考えてしまう。
「未来を見据える」とか大口をたたいたが、少し過去のことも振り返ってみる。自分のホッケー生活は、ケガと故障の多いものだった。半年間競技ができなかったりと、プレイヤーとしての活動を否定されることが多々あった。
そんな中で、よく言う陳腐な「部活に入れば見つかる何か」を自分がはっきりと手に入れられたかと今現在聞かれても、暫定はっきりとした手応えはなしである。
でも、入部前と後で、自分の中で変化は生じた。具体的に何だとは言えない。でも確かに感じる何かがある。間違いなく価値あるものである。
じゃあそしたら、あえて引退の日に同じ質問されたらどうだろうか。引退の日に「部活に入れば見つかる何か」を自分がはっきりと手に入れられたか、と聞かれたら?
それでもやっぱりよくわからないと答えるだろう。
それもまあそのはず、そもそも高校3年間、大学4年間、通算7年間も取り組んだことで単一の明確な何かを得たという実感なんて得られるわけがない。大事なものはいつだってあやふやな存在に違いないからだ。
近日最終戦を迎える。そこで何を見て、何を思うかなんてその時にならないと分からない。ましてや引退のその瞬間に何を考えるかなんて分かるわけがない。ただ、そこで何かを感じ取り、思うのは間違いない。今までの自身の中、そこにはないものに違いない。
不安を感じるなんて書いたが、不安とは期待の裏返しだろう。だからこそ、引退のその瞬間に感じるものに楽観的な期待を抱こうと思う。何を思うかなんて見当もつかないが、深く考えないようにする。
期待と不安に挟まれながら、目の前の道を渡ろうとすることだけが、自分に残された最後の行いなのだろう。雑踏の中をしばし彷徨ったあと、反対側に何が待つかはその時に分かるからそれでいい。
最終戦の勝利を祈願して、ここで筆を置く。