UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2020-11-21
時代錯誤
早瀬 大輝
4年生になってから、昨年の追いコンでの功大さんからのメッセージの「東大の3番が、また一部で立ってるのを見せて欲しい」という内容を最近よく思い出す。よしゆきさんからのメッセージの「今年のチームを支えていたのは大輝だったし、来年は幹部で大変だけどプレーで支えることも大事だ」という内容もふと浮かぶ。入れ替え戦に出れなかった分を、来年は幹部として、プレーヤーとして、全力で取り戻しに行く、一部に昇格する。強くそう思わせてくれる言葉だった。この言葉を思い出すたびに「頑張らなきゃ」と感じた。
その気持ちとは裏腹に、4年生としてのこの一年間のコロナ下での部活は、ただただ熱中して前だけを向いて引退まで突き進むには、あまりに考える時間がありすぎた。
許可の下りない大学へ何ヶ月も交渉をし続け、入れ替え戦を無くすと主張するホッケー協会へ抗議の申し立てをしたが、結局自分達に残されたのは8月から11月の4ヶ月間と、入れ替え戦のないリーグ戦のたった3試合のみだった。
現在の目標である二部優勝と、実現し得ないものとなった一部昇格では、本当に大きな差がある。この目標を掲げている副将の自分自身が一番痛感している。この差は埋められないほどに大きい。下級生である二年間、公式戦でベンチ入りした記憶、初めて試合に出た記憶、勝った記憶、挫折した記憶全てが一部での経験だったからだ。
「部活を続ける意味があるのか」
9月初めに入れ替え戦無しが決定してから数ヶ月間自分にずっと問い続けてきた。mtgを含めて週6回の部活動に何の意味を見出せばいいのか。見出したくない訳ではなく、死ぬほど見出したいからこそ、部活の意義が見出せないことが本当に苦しかった。
「入れ替え戦が無くなったけれども、残りの試合を全力で頑張ろう」そうやって下級生に向けて必死で鼓舞する自分自身が、部員で一番頑張る意義を見出せていない状況が続いた。続いた、という言い方は間違っているかもしれない。少なくとも頭のどこかでは未だに続いている。
入れ替えが無くなってからのこの2ヶ月間は、チーム目標の二部優勝とは別で自分なりの目標を持って部活に取り組んできた。それは、後輩をしっかりと見てあげて、成長させるということだ。縦割りのメンバーにはしっかりと話をさせるよう心掛けてきて(長すぎると思われているかもしれないが)、試合もできる限り多くのメンバーにチャンスを与えたいと思って取り組んできた。それに応えてくれた後輩も何人もいて、成長を見ているのが非常に楽しかった。少なくともある程度は個人的に掲げていたこの目標は達成できたのかなと思っている。
率直に、一部員として学生最後の部活動にどんな印象を抱いていたかというと「時代錯誤」という言葉が当てはまる。コロナ禍で部活を離れていった何人かの部員たちを見て、恐らくこの部の全員が一回は自分が部活に所属する意味を考える機会になったと思う。この時代に、週5で毎日ハードな練習をして、辛い時期もあって、運営の仕事もそれぞれにあるなど、本当に大変なことが多い活動をしている。部活の時間にバイトをしていたら、サークルで楽しさだけを追っていたら、しんどい時は休める活動だったら、と逃げたい時が何度もある。時代の流れは恐らく部活とは逆に流れていて、大学内でも社会でも個人がそれぞれ自由にやる風潮があり、時代錯誤という言葉はあながち間違っていないと思う。
「そんな部活動だからこそ」と美化したいわけではないが、この4年間、自分は部活をやってきて良かったと引退に直面した今、強く感じている。雑感の文字では綴れない、言葉の羅列では伝わらないような部活動の良さ、それを最後に、自分・後輩に改めて強く感じさせたい、共有したいとまで思った。
チームの戦術を0から考えるところから始まったBullions2020は、例年では考えられないような壁に当たり、乗り越え、ということを繰り返してきた。そんな僕らの最後の試合を全員で、全力で闘おう。そして、学習院をホッケー面でも気持ちの面でも上回って勝つ。そこでこんな状況でも頑張ってきた僕らの強さを証明しよう。時代錯誤な部活の、他の活動にはない圧倒的な魅力を全員で共有して実感する、それが、未知の感染症で一部に上がれない僕らの代の中で、自分が最終戦に見出す意義の答えだ。
こんな災難な1年でも4年生の最後くらいはかっこよく終わらせたいので、スタンドの人は大きな声で応援してほしい。ベンチの人は最高の状態でアップして準備しといてほしい、声が枯れるまで指示出してほしい。試合出る人は死ぬほど走ってほしい。めちゃくちゃ勝ちたいです、頑張ろう!