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2020-10-22

我慢

内海 武憲

数日前に何気なく見ていたインスタのおすすめに、「我慢は本来は慢心を表す悪い言葉」といった趣旨の投稿が出てきた。
調べてみると本来は仏教用語の煩悩の一つで、自分に執着することによる、自分を高く見て他を軽視する思い上がりの心を言うとのことだった。

これを知った時、今の自分に重なった。

ろくにプレー出来ない状況の中、筋トレやストレッチ、整体的な知識の勉強など、自分なりに復帰のために「やるべきこと」をやっている。
この状況は現代文の良い意味で使われる我慢のように見えるし、自分自身無理にでもポジティブに捉えることでモチベを保ってきた。

しかしこれも振り返ると、挫折して部活を辞めたくないという自分自身の執着から来る思い上がりなのではないかと思う。

実際自分が復帰を目指す、あるいは部活を続ける拠り所としてすがってきた物は思い上がりによって成立していた。

運動神経やセンスはある方なはずだといっても長期間本格的に出来ていない以上は根拠が古い上に乏しすぎるし、他の同期が新歓代表やるよりは自分の方がまだマシだろうと思っていたけれど現状を見るとただのうぬぼれだったのかなと思う。

先日トレーナーの前原さんと話して自分の痛みの原因は体の硬さもあると指摘され、そもそものやるべきことはやっているという前提も思い上がりだったのではないかと思わされた。

こうやって考えているとなぜ続けているのか分からなくなってくるが、それでも一つ自分の中で思い上がりではない理由があって、それは恩を返したいという思いだ。

自分は部活に入ってから色々な人から恩を受けてきた。

遅くに入部したのに自分を受け入れてくれた同期や、入部後に面倒を見てくれた薫さんをはじめとする上級生や、色々と相談に乗ったり励まし続けたりしてくれた功大さんなどには本当に感謝しているし、特に2019の代の4年生はプレーヤー全員が練習後に自分一人のために長い時間残って話を聞いてくださったり、卒部後も気にかけて相談に乗ってくださったりと本当に頭が下がる思いになる。

こうした恩は自分の置かれた状況だからこそ強く感じたものだと思うし、自分には返すというか還元する義務があるし、それが礼儀だと思う。

2019の入れ替え後の総括で磯田さんが、「何個か上の先輩が怪我から復帰した姿を見て自分も怪我の時頑張れたから、そのバトンを繋ぐつもりで最後の一年頑張った」といったような話をしていて、勝手にバトンを受け取った気持ちになって感動したのをいまでもよく覚えている。

結果的に自分にはそのバトンを繋ぐことはできなさそうだけれど、恩を受けたから返す、還元するというのも同じ話で、そういったバトンで部活だったりいろいろな伝統はできているのではないかと思うし、その流れの中にいる責任も感じる。

自分が原田の面倒を見たり、メンタルちょっとやられながら新歓やったり、練習中ボール集めしたりするのも、そういった恩返しの気持ちがモチベのある程度を占めている。

もうすぐ最上級生になる時期になり、自分の現状では否が応でもスタッフになる、辞めるといった選択肢も踏まえて進退を考えざるを得なくなっているが、どんな結論であってもそういった思いは忘れないようにしたい。

最後にですが、自分の気持ちの整理しただけみたくなってすみません。ちょっと前の田中のやつみたいな、部活やってる人のあるべき姿みたいな雑感を書きたかったなと思いつつ終わります。

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