UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2020-11-14
怖さ
宮本 琴音
最後の雑感には見合わないけれど、情けない自分の話と部活で気づけたことについて。
怖いと思うことがとても増えました。
みんなの前で発言すること、指摘すること、試合のタイムやベンチを担当すること。
反応がなければ何か気に入らないのかな、と不安になるし、自分が失敗して試合や練習に悪影響を与えてしまったらと考えたらすごく緊張する。
「自分たいしたことしてないなぁ」っていう気持ちがあって、そんな自分が、一から戦術を考えたり自分で工夫しながら技術を磨き上げていく人たちに対してあれこれ口を出すのだから、内心はいつも不安だ。
「今年のスタッフ長は頼りないな」って思われてないかと怖くなって、些細な態度や反応に対しても落ち込んで、今まで本当に一度もなかったのに、部活に行くのが怖いな、嫌だって思ってしまうこともあった。
そんなだから当然、先の立教戦もめちゃめちゃ緊張したし怖かった。
けれど実際に自分がどうこうの比じゃなく一番吐き気がするほど怖かったのは、仲間が目標を失って打ちひしがれる姿という最悪の未来だったし、SOが終わった時に一番感じたのは勝利それ自体への純粋な喜びよりも、目の前でこの人たちがこんなに嬉しそうに笑っている、ということへの安心だった。自分でもなんか嘘くさいと思うけれど、本当にそうだったのだ。
「ああなんだ、やっぱり私はちゃんとこのチームが好きなんだな」って、ストンと心に落ちた。
そう考えると、とにかく色々なことが怖いのは当然のことだと思えるようにもなった。
これほど大切に思っているものを失ったり、失望されるのは、怖いに決まってる。
人は弱いから、不安や恐怖から自分を守ろうして、自分を不安にさせる要因から自然と目を逸らしたくなるものなんだと思う。自分はその環境が好きなのに、受け入れられていないかもしれない、うまくできないかもしれないと思うと不安でしんどいから、防衛本能的に段々自分の方もその対象が嫌に思えてくるのかなって。私もきっとそうだった。
蓋を開けたら一番根っこには好きって気持ちがあるのに、なんてもったいないんだろう。
部活は4年間もあって、本当に色々な人がいて、競争や人間関係がある。
その中で過ごすのだから、スランプ、チーム内での立ち位置、引っ張っていく立場としての難しさ、それこそ感染症のようなどうしようもないこと…様々なことで悩んだり不安になることが絶対にあると思う。きっとあと数年が残されている後輩のみんなにも。
気がつくのが遅かったからもう2週間しか残されていないけれど、この先万が一私みたいに一時の自己防衛的な感情に負けそうになる人がいて、私がその人の近くにいられたなら、こう言ってあげたかったなって思う。
大丈夫、怖いと思ううちはちゃんと好きってことだから。すぐ手放すのはもったいないよ。
ホッケーがうまくいかなくて苦しいのは、それだけホッケーが好きだからだし、
意見がうまく伝わらなくて悲しいのは、それだけチームが好きで、よくしたいと思ってるから。
都合の良い自己暗示かもしれないけど、なんか嫌だなと思うよりはよっぽど前向きに頑張る力になる。
いつか誰かが言っていた「自分に自信がない人がベンチにいていいはずがない」という言葉はカッコ良くて憧れるけれど、私のこの怖さは、人一倍仕事を覚え取り組んできた自負や失敗せずに試合や練習を回せた経験があっても、やっぱり消えない。
この気持ちは、絶対に役に立ちたいっていう熱意の証で、みんながそれだけ尊敬できるチームだっていう証だから。
そして、自信がなくても、「怖くてもやる」を選び続けることができたなら、最後は胸を張れると思うから。
だから私はきっと、頼りないかもしれないけれど、最後の最後までこの怖さと一緒に部活をするんだと思います。
とはいえ、「たいしたことしてない」自分のままでいいや!と開き直るわけじゃない。
難しい情勢の中私たちが活動できるように立ち回り支えてくれた方々、厳しい制約に協力してくれた部員のみんな。
皆様のおかげで、私たちはこうして活動を続けながら最終戦を迎えることができます。
すごくありがたいことで、ただただ感謝するだけではきっと足りないでしょう。
最後まで行動で、自分のできる限り、それ以上を返していかなきゃならない。
部をつないでいく下級生の歩みの一助になるような姿を見せよう。
勝って、みんながまたあの笑顔になれるように、全力を尽くそう。
2週間後、
「あぁ怖かった」って胸を撫で下ろしながら、もみくちゃになって喜ぶみんなを見て笑えますように。