UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2021-06-17
四年生
成田 雄紀
この部に入部して以来ずっと、大学生活で部活動をやることの醍醐味の半分くらいは四年生を過ごす時間の中に詰まっているもんだと思っていた。
別にそんなに根拠とかはないし、たしかに自分も下級生として過ごす時間の中で多くのことを得ることができた。ただ、四年生として部を運営・強化していく立場に立つと今までとは明らかに違った景色が見えるのは当然で、今までになかったような壁にぶち当たったり、色々な感情を味わうことになるのではないか。そしてそれを四年生ら主導で乗り越えようとする過程の中で、他では得られない色んなものを得られるのではないか。そう思っていた。
また、学生スポーツは四年生ゲーなんじゃないか、とも思ってる。自分は学生スポーツをよく見るが、その度に思う。どんな超絶の大エースや最強の黄金世代がいても、結局四年生のピッチ内外におけるリーダーシップや下級生からの信頼がないと不思議なことにチームは勝てない。逆も然りで、谷間の世代と言われる学年があってどんなに前評判が悪くとも、四年生を中心にチームがまとまりさえすれば勝つことだって良くある。極論いえば新体制始動時の戦力なんてほぼほぼ関係なくて、四年生次第ではいくらでもチームは変わるのではないか。もちろん下級生からの突き上げや発信はチーム作りでは必須で求めなくてはならないが、下級生のモチベーションだったりもある程度は上級生がコントロールできる部分もあって、それがチームのまとまりや結果に直結すると思っている。
そういう例を知っているからこそ、始動前から不安視されてきたBullions2021も四年生次第ではなんとかなるのではないかという期待を持っていた。そして副将である自分自身にも、当然かなりの役割を求められることを理解していたし、それなりの覚悟をもって新体制に入ったつもりだった。
ただ、そのせいもあってかコロナ自粛があけて3月からしばらくの練習はメンタル的にしんどかった。
まず、自分が本当に下級生がついていきたいと思えるような姿を見せられているのかに全く自信が持てなかった。
特にプレー面に関して、全体を見ないといけない立場であるのに自分のことで精一杯になっていて、練習や試合でも満足できるプレーが全くできずにストレスを溜めていた。そんな状態では、四年生で副将という立場にあったとしても全体を引っ張ってこうとかいうメンタリティになる余裕はできなくて、チーム反省や縦割りやポジションでのフィードバックにも神経を注ぎきれていなかった。自分が下級生の時に見ていた先輩の姿の欠片も自分には見せることができていなかったし、そんな自分に失望していた。
また、今年になって自分が他の部員に向ける目にも変化があったように思う。
チームメートを、チームのコマとして見ざるを得ない状況が増えた。これは当然といえば当然で、例えばチーム戦術を考えるときは、今ある持ち駒で最大限の力が発揮できるような戦術を考える。メンバー選考も、飛車角級の選手を起用するのはもちろんで歩以下と判断された選手を起用することはできない。そこにその人の人間性とかが評価基準になることは一切なくて、ホッケーとしての能力だけが選考基準になる。
これは自分にとって思ったよりもしんどいことだった。オフの日や電車の中とかでも日常的にホッケーのことやチームのことを考えるようになったこともあって、いよいよ他の部員をホッケー選手としてしか見れなくなった。自分のことしか考えてなかった去年までは、練習を終えればホッケーを忘れて部員と色んな話をして1人の人間として接することができ、他の部員に人間的な魅力を感じることも多くそこにも楽しさを感じられた。でも今はホッケーやチームのことばかり考えるようになったせいで、そういう見方はできなくなったように思う。常に部員をチームの駒としか見れないし、数少ない持ち駒が期待通りの働きをしないとイライラするようにもなった。これは自分に対してもそうで、桂馬くらいを目指すのでも許された去年と違って今年は飛車角にならないといけないのに、それに見合った働きをできないことにストレスを感じた。また、そんな大した駒でもない自分が、本来は同じ大学生で人間的に平等であるはずの他の部員を駒として操っていて、時には他の部員に君は大した駒ではないと伝えなくてはならない場面もあることに違和感も感じた。そんな自分のことが嫌だった。
そんなことを無限に考えているとき、自分が下級生のときの四年生や幹部のことをふと思い出す。
当時の四年生が自分のことをどう見ていたのかを考える。特に自分が2年生の時は下級生の成長が必須なチーム状況もあって、クソ下手な自分を見て絶対ストレスを感じてただろうと思う。でも、練習や縦割りで自分への手厚いサポートやフィードバックをしてくれてそれで自分は成長できたし、自分の意見や考えも聞いてくれて真剣に向き合ってくれた。そしてチームとしても一部相手に勝利をおさめ、始動当初と比べ物にならないくらいの強いチームになっていた。今になって当時の四年生の精神的な強さみたいなものがよくわかる。
それと同時に、四年生が自分自身との課題とも向き合い苦しんでいた姿も思い出される。自分からしたら圧倒的に上手くて輝いていた四年生も、縦割りなどでは下級生の自分にもフィードバックを真剣に求めるしアドバイスを欲していた。自分が一選手として向上していくことを諦める人など一人もいなくて、それと同時にチームのことも考え引っ張っていた。
だから、今自分が抱える悩みも四年生の宿命であって、これを四年生が乗り越えられるかがチームが成長できるかどうかの鍵を握るんだろうと思う。
自分が満足するプレーができなくてもそれとはいつまでも向き合っていくしかない。かっこよく完璧なプレーをしてチームを引っ張っていこうと考えていたのが間違いで、副将となった今でも逆に後輩や他の部員からたくさん指摘をうけて叱られて成長する。不器用に生きてきた自分はそれでいい。いや、それがいいのかもしれない。
それと同時にチームの反省や下級生へのフィードバックも自分なりに精一杯やる。おそらく今後も部員をチームの駒として見続けるのは変わらないと思うが、どんなに駒が機能しない苦しい状況になったとしても無駄に感情的になることなく四年生が真剣に向き合い続けて、冷静になって言うべきことを言いやるべきことをやる。時には自分のことを棚に上げて非情になっていい。自分自身がそうしてもらったように、地道にそれを続くていくことがチームの成長にとって最善であって、これが四年生の役割であると思うようになった。
昔どっかの何かのテレビか本かで、学生スポーツでは四年生がまとめたチームよりも四年生の姿をみてまとまったチームの方が強い、とかいうフレーズを聞いたことがある。四年生ががむしゃらにやるべきことをやってれば下級生は勝手に付いてきて、自然と強いチームができてくる、ってことなんだろうか。。
春リーグもいよいよ山場を迎える。多分こっから劇的に個が伸びるなんてことはないけど、試合までの数日間や試合中の四年生の振る舞い方でチーム力はいくらでも変わるのかなあ、とも思うので、自分もその日に向けて準備しようと思います。