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2022-11-25

僕のホッケー人生

伊藤 拳

僕がホッケーに出会ったのは中学校の時です。はじめは、マイナースポーツゆえ、簡単に大会で活躍できるのではという不純な動機で始めました。基礎技術を一通り学んだあと、家族の仕事の都合で、オーストラリアの移住しました。そこでも、地域のホッケークラブに加入しました。ホッケー人口の多さや、設備の豪華さに驚く一方、言語の壁で指示や指導を理解できず困ったことも多くありました。
 日本に戻ったあと、高校では、ホッケーに真剣に打ち込みました。高3では、週3の活動日以外にも、ラントレや、自主練を通してスキルアップを図りました。その結果、前年から大きく戦力ダウンしたチームで、大阪府優勝、4年ぶりの全国大会出場を果たしました。優勝には勝ちが必須の状況でライバル校からもぎとった1-0勝利は今でも印象に残っています。戦力が落ちても、勝てることがあるのは、チームスポーツであるホッケーの面白いところで、東大のホッケー部の現状とも縁を感じてしまいます。
 全国大会出場を目標にしていたこともあり、大会ではあっさりと負けてしまいました。その後に、もうこのチームでは、ホッケーをできないのかと思い、目が潤んだことは今でも覚えています。その感情が、大学での途中入部につながりました。
 東大ホッケー部に入ると、芝グラウンドの練習環境や、試合の多さに感動しました。2年の時は、出場機会がありそうなDFに専念しましたが、先輩の練習についていくのが精一杯でした。疲労から、家までの坂道で自転車を押して帰ったこともありました。公式戦で、SOをするのも貴重な経験でした。
 3年では、MFにポジションを変え、良く言えばミスを恐れず、自由に攻めました。ここでも、先輩たちの技術、統率力に頼り、楽しくプレーしました。そんな中で、秋決勝での敗北は、もっと自分にできることはあったと申し訳ない気持ちになりました。
 4年になって、先輩が引退するときにかけてくれた言葉が、胸に刺さります。「お前の練習態度が、チームの強さを左右する」「お前がプレーして楽しいチームになるように、後輩にアドバイスしてくれ」などなどです。自分でも、「後輩のメンタルを考えられているか」「後輩がのびのびプレーできる環境にしてあげられているか」考えます。
 ホッケーには楽しい瞬間はたくさんありますが、一番楽しいのは試合に勝った瞬間だと思います。後悔の残さぬよう、次の決勝戦で、1年ごしのリベンジを果たすのみです。いままでのホッケー人生の集大成を見せます。

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