UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2023-04-16
一年
田中 岳人
新しい環境に身をおいてから、一年が経った。
その事実を受け止めきれずにいる自分が居る気がする。
僕は中高一貫校だったので、部活に自分より1個下の世代が入ってくるという経験は実に7年ぶりだ。
最近は成人式も終え、時の流れを意識させられることも多い。一年というものに対する価値観も自分の中で大きく揺らいできているが、とりわけ大学生活における最初の一年間の砂時計はとても小さかった。
そんな中、新入生の覚束無いスティック捌きを見て、「流石に俺も成長はしたんだな」とどこか安心する気持ちがある一方、初めて体験会に来た子が自分よりもスクープができているのを目の当たりにして、「なんで一年もやってきたのに、こうなっちゃったんだろ」と感じてしまいもする。それと同時に、教えられる側から教えていく側に推移していくことへの恐怖も感じる。
今まではある意味、甘やかされてきた部分があった。1年生でいる間は何となく、できないのは仕方ないというのがベースにあって、その上で出来るのならそれは加点要素になるという感覚があった。Bullions2022では特にそうだった気がする。あの頃は自分がやりたいことばかりやっていたため、スクープのレシーブ、レバピック、ヒットの強度といったことは大きく上達しているのを感じていた。ただ、自分の弱点を意識することは少なかった。ディフェンス時のプレッシャーの弱さ、単純なレシーブでのミス、肝心な時にスティックを下げられないこと、シンプルなかきで相手を剥がせないこと。こういった点はみんな気づいていたはずだが、特に指摘されることはなかった。それに合わせて僕自身もそういったことには目を塞いで過ごしていたように思われる。
でも、今はそうではない。試合に出るメンバーは12人しかいなく、1人のミスを周りがカバーしてあげるという余裕は以前に比べて無くなってきたし、そのミスがチーム全体に与える負担は大きい。下手でもがむしゃらに頑張ってミスを取り返すということが難しくなってきたのだ。それもそうである。そんなことを全員が60分も続けられるわけがない。
この前の試合もアシストはしたものの、自分自身で得点をすることは叶わなかった。ただ、ゴール前まで全然詰めていなかったというわけではない気がする。味方がシュートを放つ時にニアやファーにいることは結構あった。ボールが自分側に来なかったと言うこともできるが、それを言い訳に使うのはズレている気がする。実際、僕以外のMFとFWは少なくとも1点は決めているわけで、僕よりも少ないチャンスをものにしている人の方が多い。
原因がはっきりとしているわけではない。ただ、一つ言えるのは、最近は自信を持ってプレーできていないということだ。レバヒを打つべき場面でもミスした時のことばかりを考えて、実行するところまでいけない。相手が少し詰めてきただけで何をすればいいのか分からなくなり、とりあえずヒットを打ってしまう。昔はミスをしても許される立場だったから、迷わずいけていた。レバヒを2回打って1回成功すれば、それは成功として捉えられた。でも今は違う。2回打って1回ミスれば、それは失敗になりうる。でも、その確実性を求められるようになるという変化は必然であり、それに適応しなければならない。
ミスをしないようにと、置きにいってスイングのタイミングが合わなくなる。そして自信を失い、また置きにいってミスをする。こんな循環を繰り返している感覚に陥っている。
もちろん、今までとは試合での責任も変わってきているから、公式戦で無茶をすることはできないだろう。ただ、練習試合とかでは自分ができることとできないことの境界の探求をサボるのは許されるべきではないと思う。
ひとまずの目標として、次の公式戦までに何かしらの挑戦ができるような自分に代わっていたい。