UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2015-11-19
ひとりじゃない
岸野 真道
そもそも僕はなぜホッケーを始めたのだろう。たまたまそこにホッケーのクラブがあって、たまたま友達に誘われて、たまたまその時にやる気があっただけなのだと思う。要するにこんな動機だった。「周りがみんなホッケーするから、じゃあ俺も始めようか」。結局小中学校6年間、僕はチームの力になれていただろうか? 答えはNOだ。得点は僕より上手い奴が決めてくれる。「ひとりで」、だらだらと練習して、特に目標もなく僕は逃げるようにホッケーをやめた。
「お前の大学生活、それはお前が決めろ。でもこのチームには経験者のお前の力が必要とされている」 新歓期、ある先輩に言われた言葉だ。僕はホッケーを続けるかどうか迷っていた。引退から4年の間、自分がグラウンドに立っている夢をよく見た。それだけホッケーは好きだった。でも、心のどこかに惰性で過ごした6年間のことが引っかかっていたのだろう。決断ができなかった僕にとって、「自分の」力が求められていると言われたのはすごく嬉しかった。昔の「ひとりで」練習する自分と決別し、チームに貢献する自分になろうと思って、入部した。
夏の一年練は、昔の自分の練習とは見違えるぐらい充実していたと思う。とにかく走った。声を出した。基礎技術ももう一度見直すことができた。しかしミニゲームをやるうちに僕は薄々気づくようになる。僕は味方にあまりパスを出さない。無理やりスペースに球を放る。「ひとりで」ボールを持ちすぎて、取られる。どうしてだろう?
迎えた東商ジュニア戦、そして七帝ジュニア戦、キャプテンマークを巻いた僕は、「自分がこのチームを引っ張るんだ」という思いであふれていた。この時もそうだった。気づけば僕のプレーは「ひとりで」完結している。チームを鼓舞することはできても、僕のプレーから流れを作ることはできなかった。
決勝の京大戦、残り時間数秒での僕のヘマがきっかけで追いつかれた。頭の中が真っ白になった。今まで経験したことがないほどの後悔が襲ってきた。あの時なんで俺は余計なことをしたんだろう、チームを引っ張ると決意してなんでよりによって自分のミスで追いつかれてしまったんだろう… 情けないことにその後のPSも外してしまった自分にできるのは、仲間がPSを決めてくれるのを祈ることだけだった。あれは入部してから「ひとりで」プレーをしてきた僕が、初めて仲間に頼った瞬間かもしれない。
あのPS戦は一生忘れないだろう。仲間はしっかりPSを決めてくれた。そして僕たち11人はグラウンドで喜びを爆発させた。決めてくれた、という言い方はおこがましい。みんながチームの勝利のために全力を尽くしたのだ。みんな「ひとりじゃなかった」。ホッケーは「ひとりで」戦うスポーツじゃない。11人で戦うんだ。当たり前のことじゃないか。
あれから幾月か経つ。意識を変えていくのは正直難しかった。でも僕は今、「ひとりじゃない」。共に汗を流し、走り、ボールを追いかける仲間がいる。志を一つにする仲間がいる。僕のパスを信じて待つ仲間がいる。この仲間となら、絶対に勝てる。そう思うからこそ、今日も僕はパスを出す。