UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2025-09-22
なにはなくても
嘉田 奏平
僕は未来のことを考えるのが好きだ、気分がよくなるからだろう。
試合のひりついた場面で上のゴールネットを揺らすえぐいシュートを決めることは毎試合前想像するし、もっと遠いところでは社会人になってからホッケーするのかなとか、どんな会社で働くのかなとか。うまくいっている世界線の自分に酔うのは結構楽しい。
自分の仮想の未来が基本的によいものであるのは、悲観ばかりではないにしろどこか陰っているような現状の裏返しというか、今そこからかなり遠いところにいるからなのは確かだろう。また、そこに辿り着く、あるいはそこを通るために必要なものとして今の自分がしている妄想という行為が正解に近くないことも容易にわかる。
大人になるにつれて(まだかなり若い)、現実から逃げたくなる、あるいはしっかり逃げることが増えているような気がしていて、ホッケーに限らず、たまる家事に文系だからやってこなかった科目の勉強、教習所、バイト。必要性が高い事象たちが襲いかかってくるように感じて逃げることが最近は少なくない。
ホッケーは風邪長引かせすぎて夏オフ明けみたいになって疲労すごいし課題が多い。
家事と勉強は放置。
明日の教習所はキャンセルした。
バイトも直近1ヶ月収入がない。
現実逃避のライブに行くのにお金もそんなにない。
まずい。かなりまずい。
今の僕ぐらいになるとここからどうやり過ごすかを冷静に考えている。
ホッケーは一旦置いといて、家事と勉強と教習所は、まあ、後回しでなんとかなるだろう。
お金も部活を盾に親にせびればちょっとはなんとかなるだろう。
ホッケーはどうだろう。
なんとかならなそうだ。
ホッケーから逃げることは自分の中で禁忌でしかないからないわけだけど、このままでいいのか、だめだろう。
8月13日、日体との練習試合、代表ピリオドっぽいときに出てないのは僕だけだった。みんなが交代にいってベンチに一人、静かだった。
四年になって引退試合のとき、僕は同期のみんなと一緒にグラウンドで戦って引退することができるのだろうか。春から隠していた不安がもう隠せなくなってしまった。
今の僕に、ホッケー選手としての強みはあるのだろうか。他人の評価があれど自分で自信がなければそれは特徴ぐらいでしかないのだろうし、逆は自己満足でしかない。自他共に認める長所。悔しいが思いつかない。ご自慢のシュートは残念ながら実際の試合では決めれていない。
光るものが他の選手より少ない、大学生活をもっと捧げて死ぬ気で没頭できるほどのメンタルも体力もない、そんな選手がどうやったらハッピーエンドにたどり着けるのか。
答えは、わからない。
今の僕に残された勝ち筋は、折れずにひたすら積み上げ続けること、足を止めないこと。この道の先に何があっても、なくても。そうすれば、きっと後悔しないはずだから。