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2025-10-08

いらない方

渡邉 凌太郎

次かその次あたりに書く予定だった雑感がある。この雑感はその“いらない方の”半分を切り取ったものである。内容は薄くなるかもしれないが許していただきたい。


なんのためにホッケーをやっているのだろうか。主な理由は二つある。一方はホッケー部を選んだ理由であり、自分にとってはポジティブだ。他方はホッケー部を続ける理由であり、間違いなくネガティブだろう。この雑感はそのネガティブな方である。


僕が部活を続ける理由は間違いなく正当化だ。僕の人生の大筋は、いつも正当化で成り立ってきた。一般に間違いとされる選択をするためには、それなりの弁明が必要となる。僕は否定されるべき決断を幾度となく行い、その度に納得のいく結果が出るのを待った。結果論を盾にさまざまな決断を肯定し情緒を保っている。受験だってそうだった。高2では東大じゃなくて東工大を受けるべき成績だった。元カノの適当な誘いに乗り、数学しかできないくせに東大を目指した僕はかなり滑稽だった。でも受かった。決断自体は阿呆でしかないのだけど、結果が出て見れば良い決断に見えてしまう。努力はあっても、それは「受かってこういうことをしたい」とか、「この学校じゃなきゃいけない」なんていう美しい原動力はない。「東大に行くという決断が間違いだったことを認めたくない」、「中学受験に失敗したことの正当化をしたい」、そういう世間体を気にしたような理由ばかりだった。多分ホッケーも正当化しようとしている。いろんな人の反対をかき消して部活を始めた。僕の身体能力や性格を鑑みれば部活に入ること自体は間違いなのだろう。無謀な賭けに週五も使うのは間違いだと思う。怪我もするし、体調も何度も崩した。でも、それを入部前に理解しながらこの部活を選んでしまっている。運動神経のいい人が自分の活躍を見越して入部するのとは違う。きっとそれは妥当な判断であり、期待値の高い結果が待っている。僕が入部したという判断を肯定するためには、それなりの結果が必要なのである。引退するときに「やっぱり無理だったじゃん」という雰囲気を感じたくない。


とはいえ、上でごちゃごちゃ言っているが、これは僕がホッケーをやる上で“いらない方の”理由だと自覚している。本当に落ち込んだ時に思い出されるのは正当化なんかじゃない。本当はちゃんとやりたい事があって、そこに向かっている。とりあえず今のままでは終われない。これまで注いできた時間、精神的ダメージ、犠牲になったもの、失った全てを肯定するくらいの結果を僕は手にしたい。そして何より、やりたいことをやってやりたい。


追伸 東海に負けて

フィールドに立てず、また悔しい敗北を味わってしまった。リーグ戦というタイムリミットが迫って来て、ベンチで足を引っ張ったまま敗退。先輩を犠牲にしてタイムリミットが伸びるという感覚が心の底から気持ち悪い。学科の忙しさ的にガッツリ上手くなれる回数も数えられる。なんとしても春、自分の代じゃなくて次の春に確実に活躍しないといけない。

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