UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2025-05-12
自己実現
町塚 広一
チームの個々人に役割がある。それを実感したのは去年の育成練だった。
去年は育成練が育成の人だけで行われることが多かった。代表の人やOBさんがみてくださる機会が少なくて、反省や下級生の指導を自分たち育成だけでしなくてはいけない。そういう状況で、育成の人たちだけで練習を成立させなくてはならなかった。だから、今までずっとホッケーを教えてもらう側だったし自分は本来人にホッケーを教える立場ではない、しかも間違ったこと言ったらどうしよう、とか思いつつも、1年生にアドバイスをして質問に答えなきゃいけなかった。
そんなあの頃の育成練を振り返って思うのは、もし自分が1年生にアドバイスする役割から逃げて、1年生が上手くならなかったら自分のせいだっただろうということだ。あの時1年生に教えられるのは、育成の上級生しかいなかった。その事実を悲観するのではなくその中で担うべき自分の役割を負えたことは、自分の中でひとつ、部活をしている意味を感じた出来事だった。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉はスパイダーマンの映画で初めて知ったが、この言葉を少し広く解釈すれば、自分の能力に応じた役割を各個人が全うすべき、ということだと思う。チームで力がある人にしか出来ないことは間違いなくあるし、もしその人がその力を発揮できずに何か失敗したらその責任の一端はその人にある。だから力が強くない人だけでなく大きな力を持つ人も、チームのために人事を尽くすべきなのだ。
じゃあホッケー部において力があるとはどういうことなのかと考えてみると、まず、ホッケーが上手いということが思いつく。当たり前だが、ホッケーが上手い人にしかできないチームへの貢献の仕方がたくさんある。公式戦で勝利に直結するような活躍をすることや、試合以外の場面で言うと、練習でプレイのコツや考えをチームに共有してチーム強化の一助となることもそうで、山ほどある。
そして、個人のホッケー能力が高いことだけでなく、部で上の立場にいることも、力があるということだ。チームの戦術や練習メニューを考えて決断することはチーム強化に直結するし、そういう人がチームを引っ張っていければ部は盛り上がるだろう。逆に、立場が上の人が自分の立場に相応しくない行動をとってしまえば、強いチームにはなり得ない。
そう考えると今の自分の役割は何なのだろうと思う。そもそも自分はホッケー上手くないし強化幹部でもないから、大きい力を持ってるとは言い難い。でも上級生ではあるし一応主務をやってるから、そういう意味で自分にしかできない役割はあると信じたい。というようなことを考えていると、自分には部員に役割を与えることができる立場にあるということに思い至った。
幹部のようにチーム強化に直接的に貢献することは誰にでもできることではない。でも役割さえ与えられれば、運営の一翼を担うことはそれほど難しいことではないはずだ。なぜなら、必要なのは最低限の責任感と事務能力だけで、自分のホッケーのレベルや学年は関係ない。そしてその職務を全うすれば皆が認めてくれる。下級生や育成の人はチームに貢献していると実感することが難しいかもしれないが、だからこそ運営という形で、部員全員がチームのために貢献できるような環境をつくれたらいい。
そのようにして最終的に、自分たちがホッケー部にいる意味を知ってもらう、あるいは傲慢な言い方が許されるのであれば、その意味を与えられたらいいなと思う。