UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2025-10-23
自分事
三木 隆斗
「チームで起きていることを自分事化する」は七帝期間の目標の一つとして立てたけどあまり明確に伝えられなかったし、達成度もまちまちだった。
七帝の振り返りミーティングでは今まで頑張ってきた人が今まで以上に頑張っただけじゃないかなんて意見も出た。
きっと皆の印象には残っていない目標だったと思うけど、自分の中では結構大事にしてた。
七帝前に目標をこうきさんに共有した時、幹部こそ自分事化してねと言われてその時は
分かってるよぐらいに思っていたが七帝から今までずっと心に残っている。
負けた後はどうしても自分以外の部分に責任を求めそうになる。
フォワードが点を取ってくれればな。
あのシュート止めてくれればな。
とか思ってしまった事もある。
自分のパフォーマンスは良かったから?
本当にそうか?
60分出ていくつかいいパフォーマンスがあるのは当たり前。
チームを引っ張る人間として十分なパフォーマンスなのか?
その一本のパスは本当に受け手を思いやったパスなのか?
例えばFWが点を取りやすいように有利な状態でボールを前につないでいるのか?
とりあえず前に送ったからその後は知らないという態度は本当にチームなのだろうか?
限定して悪いシュートを打たせたから後はキーパーの問題?
確かに一定正しいとは思うが、俺の想像する勝つチームが言ってるとは思えない。
普段の取り組みは本当に十分か?
俺たちは驚くぐらいホッケーの技術も戦い方も下手くそなのになんで皆(自分含め)こんなに練習しないんだろう?プロの試合を見ないんだろう?と思った事もある
けど同期後輩が自主練をしたくなる問題提起や動機付けを十分にしてきただろうか?
チームメイトのプレーを本気で観察してなりたいプレイヤーに近づくための助言を十分にしてきただろうか?
幹部になってから練習メニューの話し合いの時に妥協が無かっただろうか?
分析も過信・思い込みの下で行っていなかっただろうか?
全然やれること・やるべきことをやってもないのに勝手に絶望している自分がいる。
こうして考えると意外にも気が楽になる。
もう無理だと思っていたはずなのに光が差し込んでくるような感覚になる。
きっと間違った自分事化だがこのチームのすべてに責任を負いたいと思うようになっている。
自分がフリック上手くなればPCの決定率は上げられるし、守備で奪ってそのままカウンターに行けば攻撃だって作れる。もちろん守備は全部守るし、プレスは全部コントロールする。
こんなあほな野望を大学生が本気で思っているのは異常かもしれないが、そう考えるようになってから普段の練習や自主練で伸ばすことが盛りだくさんで楽しくなっている。もうすぐ主将になって考える事はいっぱいになるだろうけど、この気持ちはあと一年間忘れることなく持ち続けたい。
でも春に森本が言ってくれた俺らの代でお前が一人になる事はないし、させてやる気もないと言ってくれたことは忘れてなくて、俺たちはチームで戦うんだってことは常に中心にある。最近公式戦で何回か得点を決めて思った事だが、俺は自分が得点するよりも仲間が得点するところを後ろから見て駆けつけて一緒に喜んでいるときの方が幸せらしい。だから皆が苦しんでいるときには自分がどんなことであっても助けられる、そんなプレイヤーになりたい。
来年どんなチームにしていくかはこれからたくさん話し合う事になるだろう。けれど俺の強い願いとしてBullions2025であるたった今から皆で自分がカバーする範囲を今より少しずつ広げていって、たくさんの重なり合いがあるチームにしていこう。
