UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2016-03-29
精一杯笑おうか
岸野 真道
昔は、ホッケーの試合で負けるたびに泣いていた。
小学生当時の僕は「試合中の声だけは誰にも負けない」なんて自負してたぐらい、試合では大声で仲間を鼓舞したり、指示を出したり、素直な感情を試合にぶつけていた。それが自然なことだと思っていた。でもその声についてくる技術は足りなくて大体は空回りだった。
「声を枯らすまで全力で頑張ったのに、どうして負けてしまったんだろう」負け試合の後そう思うたびに、仲間に申し訳なくて、自分が情けなくて悔しくて、ただただ涙が止まらなかった。
いつ頃だっただろう。「熱くなって声を出すのはかっこ悪い」と思ったのは。負けるたびに、涙を流すたびに、自信を失くすたびに、なんで自分は試合中あんなに叫んでたんだろう、恥ずかしいじゃないかと自省した。別に声かけなんかしなくていい、自分のパフォーマンスに集中すればいいだけの話じゃないのか。
そう気づいた時には、試合中の僕からは以前の活気は消えた。そんな状態で勝っても正直叫ぶほどの達成感や興奮を得ることはなかったし、負けても涙を流すほど悔しがることはなかった。そしてなんとなく試合に出ることが中学時代は続き、ホッケーから一度遠ざかった高校の部活でもそれは続いた。
「試合中はクールである」ことが理想だと思っていた僕はBullionsに来て知った。みんなが「泣いていたあの時の僕」のように真摯だった。普段はクールなように見えるあの人も、練習や試合になると人が変わったように声出しをし、復唱をし、全力でボールを追いかけ、泥臭くゴールを決めていた。
この駒場のグラウンドには全員分の熱い思いがある。もう一度あの時の僕に戻らなきゃいけない、そう思った。
話は変わるが、こないだの練習試合の後、同期の清水に「岸野、お前の指示出しの声いつも聞こえてくるし助かってるよ」と言われた。あの時は適当にごまかしたけれども、実は素直に嬉しかった。僕の熱い思いを乗せた声で、確かにチームを支えることができているという気持ちを得られたからだ。
僕の当分の目標は、「あの時泣いていた自分自身」。でも欲を言えば、涙を見せるんじゃなくて試合に勝って全力で叫んで笑っていたい。