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2025-11-13

猪突“邁”進?

竹下 貴大

「自分を一言で表すなら、猪突”邁”進開拓者です。様々なことに​​猪突猛進し、取り組んできた一方で、闇雲に手当たり次第何かをするのでなく、必要なことを一つずつ丁寧に積み重ねてきた経験から邁進の”邁”を使わせていただきました。」

とある企業での面接での一場面で自分を説明する際の一幕である。しかし実際に面接が終わった後、内容を振り返った時、少しばかり違和感を覚えた。

確かにこのエントリーシートを書いた時点では、過去の自分を振り返った上で、そのように考えていた。ホッケー部に入るという決断は、大学に入ってからの根拠のない全能感によるあらゆる挑戦の一つではあったものの、入ってからは、筋力トレーニングによる身体能力向上など必要であることに対して少しずつ取り組んで、最終的に3年となり、あんなに下手だった自分が試合出場まで漕ぎ着けることができた。無謀な挑戦だったとしても、一つ一つ必要なことを考えた上でその物事に取り組む姿勢を表していたように思う。

しかし、それでいいのだろうか、もしくはそのままでいいのだろうか。少しずつ積み上げること自体は否定しない。しかしその積み重ねの結果が、4年生になろうとしている今、武蔵戦でも何度もピンチを招き、レシーブミスをしているようでいいのだろうか。このまま少しずつ積み上げているだけでは、4年生になった時、自分は心の底から喜んで引退できるのだろうか。今までのように積み上げていって到達できるような場所に自分が目指すゴールはないんじゃないか。そんな焦燥感に駆られ、つい感じてしまった。

もちろん今までの活動において、手を抜いて取り組んできたつもりはなかった(他の人からレベルが低いと思われても)。でも4年生までに基礎を少しずつ固めていけば、活躍できるだろうという謎の安心感から甘えが生じていたような気がする。少しずつ着実に積み重ねようという信念が、いつのまにか少し積み重ねればいいかと妥協の言い訳へと置き換わっていたのだろう。

だから今後限られた時間の中では、猪突”邁”進ではなくやはり猪突”猛”進で取り組んで行こうと思う。必要そうだと感じたものには後先考えず闇雲にでも、手を出していきたい。そうでもしないと今まで、そして今も努力を続けている人がいる中で、もっと努力すると宣言することに嘲笑されるのではないかという不安と恥ずかしさがあるが、あえてここで宣言しようと思う。たとえば違うと思われようと反省の中で気になったことはどんどん言ってみよう。身の程知らずと思われようといろんな人にどんどん相談してみよう。そしてその中で、空回りすることも、練習間の反省で(誰も喋らない雰囲気に耐えられず)変なことを言って場を乱すこともあるかもしれない。たいしてうまくもない私が、一丁前に要求をして腹立たしく思わせることがあるかもしれない。それでも自分が後悔したくないというエゴから生まれる猛進をどうぞお許しいただけると幸いです。

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