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2019-04-05

求める限り

和田 拓也

1年前、農大に勝った日のことはよく覚えている。

チームとして30年ぶりの1部での勝利である。この瞬間にチームの一員として立ち会えたことは嬉しく、また誇りに思っている。確かに嬉しかった。観客席に頭を下げ、グラウンドを出るまでは。


グラウンドを出て、いつものように集合でOBさんの話ーー勝った試合だったのでお褒めの言葉が多かったように思うーーを聞いているうちに、心の中でもう一人の自分が問いを発していた。
「確かにチームは勝ったよ。すごいやん。でもお前はこの60分間何をしてたん?」と。
「何って、そんなん、、、」すぐに答えられなかった。
自分は控えのGKとして60分間ベンチに座っていただけである。

この事実に気付かされた瞬間、勝利の嬉しさは消し飛び、試合に出られなかった悔しさと早く練習をしなくてはという焦りがこみ上げてきた。チームが勝ったのに喜ばないなんてひねくれたやつだと言う人もいるだろうが、本音を言わせてもらえば当時は試合に出られると思っていただけに本当に悔しかった。と同時にこの複雑な感情を経験できたことにとても感謝していた。
だから記念の写真にも、みんなユニフォームで笑っている中、すでに私服に着替えかつ真顔という場違いな雰囲気を漂わせて写っている。早く駒場に帰って自主練がしたかった、しなければならないと思ったし、この悔しさを忘れたら変われない、なんとか形に残さなくてはという思いがあった。それからというもの、携帯のホーム画面やSNSのカバー写真などをこの写真にし、写真を見てはあの感情を思い出すようにしている。今となってはひどい顔してんなと思うようにもなってきたが、おかげであの悔しさは色あせずに残っている。(新歓の材料としてあの写真が使われているのを見ると申し訳ないなと今になって思う。)

一個人の意見としてではあるが、この経験があるからこそ、勝った試合だからといって、満足なプレーができなかったり、試合に出られなかったりして全員がそれを心から喜べるとは限らないと思っている。もちろん、勝利したという事実には少しくらい浸っても良いが。チームである以上「1つになること」に意識が引っ張られがちだが(今年のスローガンもそういう風に捉えられているかもしれない)、それは「試合の中で」連動することであって(to be One)その他のことに関しては多様なリアクションがあってもいいと思う。というよりは一様なリアクションなどあるはずがないと思っている。
チームで試合をする以上、レギュラー、ベンチ、ベンチ外と異なる立場が生じ、立場が異なれば1つの事象に対して抱く感想も異なるはずだ。「あいつすごいなあ、でも1部はもっとうまいからあいつに並ぶだけではダメだなあ」「何だよあのプレー、自分の方がもっと出来るのに」「代表として不甲斐ない、もっと頑張らねば」という感情があれば、日々の練習で還元して自分の色を出し(be the Ones)、より高いレベルで高め合っていける。そういうチームがいいと思っている。実際、まだまだこのチームは成長できるはずだ。

これからリーグ戦が始まるが、1部での戦いは厳しいものになるだろう。ミスしたらどうしようと思う人もいるだろう。だからといって悲観することはない。ミスはするものだと割り切っておけばいいだけのことだ(GKがそれを言うか?と思うかもしれない。でも実際何があるかわからない)。それよりも1部での試合は全国トップレベルの相手に対し、成長した自分たちがどこまで通用するかを試せるまたとない機会だ。書いているだけですごくワクワクしてくる。自分の声で味方を動かし、自分のセーブでゴールを守り続ける。60分間精神を削って思考を巡らせ続ける。やるべきことをやるだけだ。その先に勝利があれば、もう言うことはあるまい。

みんなそれぞれがやるべきことを自覚し、実行すれば、リーグ期間であっても、個人もチームもどんどん成長できるはずだ。
求めよう、成長を。求めよう、勝利を。求めよう、勝利の先にあるものを。

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